はじめに

 その昔、当方の記憶にまちがいがなければ昭和54年(1979)から55年(1980)にかけて、市内の道三町で開業していた獣医師N先生がマイコン・クラブを立ち上げるということになりました。当時、医療機器会社の営業を担当していて、いわずとしれた安サラリーマンでした。しかし、その縁で、N先生の診療所にも出入りしていたというわけです。先生の第一印象は多少無骨さはありましたが、やる気まんまんの闘志あふれる、また才気みなぎる、元気過ぎるくらい活発で、また反面ひとなつっこい人柄が先生の持ち味でした。
 診療所に入った真ん中にでんと陣取っていたのが、はじめてみる奇妙な道具、いや装置ともいうべき、小さな高性能、それが当方がはじめてみるシャープ製MZシリーズ、MZ80Cという発売されて間もないコンピュータ本体でした。見た感じは最新式のオフィス・コンピュータのように思えました。当時はまだマイコンという言い方をしていました。シャープはマイコンという言い方を、NECはパソコンという言い方をしていました。当方には得体の知れない箱、あるいはただのなんの変哲もない鉄の箱、なぜか、わかりませんがとてつもなく法外な想像を超えた装置とも見えました。そのときはじめて小型のきわめて手軽な、といっても安サラリーマンの当方には手が届かない高価なものではありましたが、コンピュータという装置の存在をはじめて知ったのでした。
 とはいえこの装置は恐ろしく高価な代物でした。当時、結婚したばかりで暇はあってもまったく金のない状態でした。なんとかこの小型のコンピュータをぜひとも自分の手で操作したいという強い気持ちが沸いてきたことをいまでも思い出します。
 その後、先生がFMC(福山マイコンクラブ)を創立したとき、30名以上いや50名におよぶ入会者があり、当時、文具販売会社テラコーの社内の会議室で、大会ともいえる集会というか総会の場を持ちました。クラブの会長さんにはこの業界では経験豊富なHさんという日本鋼管の関連会社へ長年努めておられる方が選出されました。その後、クラブ費でシャープMZ80Kを買い込み、希望するクラブ員にレンタルされることになり、当方もすぐ貸し出しを申し込んでやっと念願のコンピュータに触れることができたのでした。そのとき、BASICプログラムを使って、代表的なコマンドなどを学習し、少し理解することができました。
 N先生から啓発を受けて当方も当時、マイコン、I/Oというようなパソコン専門誌を毎月買い込んで自分なりに知識を取り入れました。長男が生まれる前の年のことですが、借りてきたシャープのMZ80Kで「スタートレック」というテキストのコンピュータ・ゲームをしたのがはじめてでもあり、ひじょうに印象的というかカルチャー・ショックを感じました。当時はテキスト表示で、まだグラフィック表示は無いに等しく、とてもまともな画像など見ることはなかったのです。アスキーコードから図柄を持ってきて組み合わせてかろうじてグラフィックもどきの図形を作っては遊んでいたのです。テラコーの会社に勤めるO君を通して、すぐ発売されたばかりの富士通の「FM8」という8ビットのパーソナル・コンピュータを予約しました。富士通FM8は8ビットのパソコンでCPUはモトローラの6809というチップを搭載した最新の富士通の意欲的な製品でした。BASIC-ROMを内蔵して、起動させるとMSのBASICプログラムが立ち上がるように設計されていました。BASICプログラムのコマンド表をみながらつたない知識で打ち込んでは、RUNさせて、うまく動作するとついうれしくなって飛び上がるほどでした。また自分で打ち込んだプログラムは電源を切ると消えてしまうので、カセットレコーダーを使用してカセットにSAVEさせたりしました。いまから思うとひじょうに幼稚なパソコンでしたが、当時は驚くべき高性能なコンピュータだったのです。
 それ以来、なにかにつけてパソコンと関わり合いつづけ、いま現在もパソコンに関わる仕事に従事しています。N先生との縁(1977)で、当方はずっとパソコンに関わるということになったのです。